タシ=ラ=ジャハン=ニスフェル

一瞬と永遠の狭間に……

――ニスフェル主席

タシ=ラ=ジャハン=ニスフェル

Tash-la-Joahang-Nispiel

(画像)
次 代パローヴェグ
前 代シュナヴァウテャーチ
生年月日1639年16月16日?
出生地シ=ギーラム?
ニクティム?
所属政党愛国党
出身校大シャプチ大学
サグナシャーグ分校
前 職第二ガイユ
プダージ6803課行政管理官
称 号天命の人
未来人
マグラン=ガランの生まれ変わり
ニーネンのプロアイス

 タシ=ラ=ジャハン=ニスフェルダン=ラ=ハン語Tash-la-Joahang-Nispiel)はニーネン=シャプチの政治家。第47代ニーネン=シャプチ星衛主席。ギール人の男性のナグシャ。不死技術を適用していたとされる。

概要

 エシュト(スワーシャカーチェ集約神教における「小市民」の意)の理想郷を追い求める敬虔なシャプチ正教の教徒。一方で天才的な理論家であったニスフェルは当時としては極めて先進的である「時空の庭園計画」「ハシュの箱」「不可逆分解装置」などの社会全体に大きなパラダイムシフトをもたらしうる新技術を構想した人物として知られている。在任当時はあまりに先進的過ぎて国民はおろか閣僚にさえも理解されていなかったが、「いずれ直面する不可避の壊滅的シナリオ」を回避することに注力していた。愛国党の設立招民院諜報機関”サナト”設立シャグマ=ラゴン入植計画など、ニーネン=シャプチの未来に大きな影響を与えたにも関わらず、その内容も結果も周囲に決して口外せず、それらを達成した直後に理由不明の辞任によって政界を去ったきり、それ以降姿すら目撃されていない謎多き人物である。

経歴

 ニスフェルには知られていないことが非常に多い。それどころか生い立ちに関してはニスフェルが存在していたかどうかが疑わしいほど根拠に乏しい。

生い立ち

 ニーネン=シャプチ政府公式の記録によれば、1639年に惑星シ=ギーラムの惑星首都ニクティムでリクー公社の経営するセクターの管理局長を勤めていた夫妻の子として生まれたとされる。夫妻は敬虔なシャプチ正教徒で子供に「天命の地」を意味するNispielhûch(ニスフェルウィーチ)から「ニスフェル」と名付けた。

 ニスフェルは父の希望で宗教学校に通わせるつもりだったが、父の死去を契機に家族で叔父の許に身を寄せたといわれている。この時、惑星チャグマ=ダプラの中規模都市ラドーニャルに引っ越した。叔父は熱心な教育家でニスフェルの家庭教師だったこともあり、叔父の希望で大シャプチ大学に進学した。

政界へ

 ニスフェルは卒業後パウタライの見習い秘書として政治の世界に入ったが途中でクビになった。その後は第二ガイユのエージェントとして雇用されたが、転属して情報室の分析官の一人になった。この時期、大シャプチ大学プダージ分校で度々彼の姿が目撃されている。

 1677年、招民党の期待の若手エシュマ=ヴィデュマーと陸戦軍の若手将校モーリュ=ヴァジェートと共に愛国党を結党。当時の世間からの評価は「得体の知れない極右政党」という扱いであったが、堅実な内政マニフェストやレーウス・ラヴェルトとのインタラクションを重視したバランスのとれた外交方針を発表し、次第に支持点を集めるようになった。

星衛主席として

 ニスフェルは前任のシュナヴァウテャーチの健康悪化による辞任に伴う1685年の星衛参事会選挙で勝利し、初選挙初勝利の快挙を達成。ニスフェル内閣は彼の置き土産である巨大戦艦スナンコンスナーチ級2隻を引き継ぎ艦隊を再編し、軍事力増強を国民にアピールした。その後は支持点が低迷したが、この間にいくつもの超技術計画を夢想していたとされる。シャグマ=ラゴン入植プロジェクトを発表。招民院諜報機関”サナト”を設立した直後、理由不明の辞任を発表し、失踪した。

人物

 ニスフェルはニーネン人(イェシュート)にしては珍しい黒髪であった。長髪であり端正な顔立ちであったことから女性人気はあったが、生涯独身であり恋愛の噂話もなかった。

 また、彼は星衛主席の任期後半にはリーエス評議会領の守護委員会情報管理局にマークされていたという証言が残っている。当時、詳細な情報はごく一部の愛国党設立時のメンバーのみが知っていたとされ、ニスフェルの計画の草案が書かれた手帳「六端菱ノート」が発見されるまではなぜ彼がリーエス政府に目をつけられていたのかも不明なままだった。

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